信長の側室で、信忠、信雄、徳姫の母というと、四代目生駒家長の妹である「吉乃」と呼ばれる事が多い。
「吉乃」と言えば、小説「武功夜話」のみだけの呼び名である事は、知られてきたところである。「吉乃」は、当初「吉野」であった。生駒家は奈良から来たので、華麗な「吉野桜」からその名を採用し、「吉野」とされていたが、物語を書いていく(書き足していく)上で、「吉乃」と変わってしまった。
「武功夜話」を見ると、それ以前は「久菴」であった。「久菴」とは・・・?実は、生駒家だけの、彼女の呼び名である。「久菴桂昌大定禅尼」は彼女の戒名である。そもそも、家譜(家系図)には、女子とだけ記載があり、名が無く、呼ぶに呼べないため、戒名から「久菴」と呼び、伝えていた。
武功夜話でなぜ、それを採用したのか。それは、生駒家では「久菴」と呼んでいると、作者に伝えたからである。しかし、途中で「吉野」に変えてしまった。
近年、「類」「お類」などという名が生駒家での呼び方であったと、インターネットなどで目にするが、それも、「武功夜話」、正確には吉田家文書(通称:前野家文書)での話である。
忘れている方もいるだろうが、緒方直人が信長役を演じた大河ドラマ「信長KING OF ZIPANGU」(1992年)では、信長の母親の名を「類」としていた。それが、いつの間にか、吉乃の幼名として語られる様になった。吉田家やそれを参考にした大河ドラマでは、織田信長の母の名が「類」だったはずだが。
生駒家は一子相伝とし、分家を作らない主義で、戦国時代から現在まで来ている。それ故、古文書類が残り、各時代の生駒家の記録もいわゆる「ブレがない」。そのため、記録は絶対的な意味を持つ。
450年前に亡くなった故人とは言え、生駒家の隆盛の祖である。
「吉乃」という名を作られ、それが史実上の名前とされた事は、実に無念な事である。
生駒 英夫