生駒利豊の叙位・任官書について
生駒家五代目・利豊は天正十九年(1591年)に従五位下隼人正になるが、その時の口宣案と云われる証書は次の様な形式となっています。
(叙位の口宣案)
上卿 中山大納言
天正十九年十一月廿八日 宣旨
豊臣宗直
宜叙従五位下
奉
蔵人頭右辨藤原頼宣
(任官の口宣案)
上卿 中山大納言
天正十九年十一月廿八日 宣旨
従五位下豊臣宗直
宜任隼人正
奉
蔵人頭右辨藤原頼宣
天皇の秘書役である蔵人頭が、天皇の命令(勅旨)を宣べる(口頭で伝える)形式から、「口宣」もしくは「宣旨」と称しています。
内容は、「豊臣宗直を宜しく従五位下に叙せむべし」と先ず位を与え、次に「従五位下豊臣宗直を隼人正に任ずべし」と役職を与えています。
上記の内容を蔵人頭が、太政官会議の議長である自分より上位の中山大納言に、奉っています(申し上げています)。
「隼人正」とは、律令制の二官(神祇官・太政官)八省(中務省・式部省など)の「兵部省」に属する役所で隼人と呼ばれた薩摩地方から朝廷に出仕していた人々の管理・監督をしていた「隼人司」の長(トップ)のことです。
口宣案の紙が薄く黒ずんでいますが、和紙が貴重品であった為、一度使用した紙を漉き直おして再利用していたので、前の墨が滲んで残っていたことによるものです。